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コラム

サウスカロライナ州の思い出から
下田 正敏
Masatoshi SHIMODA
本誌編集委員 / 元・日野自動車(株)
JSAE ER Editorial Committee / former Hino Motors, Ltd. Technical Research Center

 米国民主党の大統領候補選びの第4選となる2月29日のサウスカロライナ州の予備選にジョーバイデン前副大統領が初めて勝利した。この最大の原動力は、有権者の56%を占める黒人票と言われている。
 筆者は1988年頃、サウスカロライナ州チャールストンを、日野自動車が米国進出に伴うプロジェクトのために1週間程滞在したことがあり、その時にマーケットやホテルの従業員に黒人の方の比率が非常に高く、かつ仕事に積極的で自分の仕事に誇りを持っており、目が生き生きとしていた事を懐かしく思い出した。同時に彼らならば、バイデン氏のほうを選ぶだろうなと独りごちた。

 日野自動車が対米輸出を計画しだしたのは、1985年ごろだったと記憶している。米国の大型車用メーカは純正エンジン以外に、カミンズなどの社外メーカのエンジンを設定していることが多い。当時の日野の知名度は、アジアでは通用しているが、米国では無名であり、サービス網の整備も十分ではなかったので、日野のトラックに日野のエンジンを搭載するほかに、お客が希望すればカミンズの同格のエンジンを搭載が可能という販売方法を選択した。このことにより一時期、日野はカミンズ側から見るとエンジンを買ってくれるお客の立場になったわけである。その時期にカミンズの社長が突然日野を訪問して、「カミンズの噴射系であるPTシステムを大規模に改善したHPIシステムを新規開発するので、日野もこのプロジェクトに参加しないか?」と提案があった。当日の議論のやり取りだけでは詳細な討議ができなかったので、カミンズ側より「噴射系と燃焼がわかる技術者をサウスカロライナ州、チャールストンにあるカミンズの噴射系の開発拠点に派遣して討議してくれ」と要請があり筆者が赴くことになった。正味3日間の技術討議であったと記憶しているが、高圧噴射が燃焼期間、熱効率、空気導入に及ぼす効果と、燃料噴射タイミングの電子制御の必要性についてはカミンズ側と完全に意見が一致した。しかし、その噴射系を採用した場合のエンジンの再設計の規模、噴射系の駆動トルク、噴射タイミングの電子制御の精度に懸念を感じた。日野としては電子制御の高圧噴射システムを探求しており、魅力的なカミンズ側からの提案であったが、根本はPTシステムの電子制御化であり、PTシステムを現在採用しているカミンズにとっては最適解であるが、上記懸念があり日野としては最適解でないことを上司の鈴木副社長、茂森専務に報告した。
 日野が日本で最初にDIを導入したのが1968年であり、その時はカミンズのエンジンをお手本にしており、筆者が入社した1975年ごろカミンズのエンジンのベンチマークをしてエンジンの性能、特に黒煙のレベルに対して、彼我の差があり、カミンズと同じ噴射系を採用すべきとの声があったことを後で聞いた。しかし結果として、会社としてカミンズの提案に謝絶の返事を送った。

 この話には後日談があり、カミンズがHPIプロジェクトに参加要請をしたのは日野の他にスカニアであり、スカニアはこの提案を受け入れHPIシステムを採用した。一方、日野は、1995年よりDENSOと共同開発したコモンレール式の噴射系の採用を始めて、10年かけてエンジン全機種のTI化とコモンレール化と高圧化を進めた。これらが完了した2005年時点での、最大の技術課題が米国の2010年規制をどのような技術戦略で臨むかであった。この規制値はNOx、PMレベルともに、エンジンの燃焼改善だけでは到達不可能であり、エンジンアウトをどこまでにして、どの後処理装置と組み合わせるかが最大の疑問点であった。その中で2007年、ロサンゼルスで7th Annual Heavy-Duty Vehicle Conferenceが開催され、米国(カミンズ、キャタピラー等)欧州(ボルボ等)日本(日野)の大型商用車メーカが招待された。各社の米国2010規制対応戦略を知る良い機会であり筆者が出席、発表した。各社の発表の注目点として、

  • 基本となる燃焼方式を従来の高圧噴射のディーゼル燃焼を選ぶか?PCCI的な新燃焼方式を選ぶか?燃料噴射システムはどれを選ぶか?最高噴射圧力は?
  • NOxの後処理装置として尿素SCR触媒を選ぶか?NOx吸蔵触媒を選ぶか?
  • 尿素SCR触媒を選択した場合、尿素(水)供給インフラをどのように整備するか?

 各社の発表のなかで、最も注目したのが最大手のカミンズの技術戦略であり発表者はStephen J Charlton Ph.D. (たしかExecutive Director, Heavy-Duty Engineering)であった。その内容は、噴射系をHPIからXPIというコモンレールに変更、VGTの使い方、Cool EGRの使い方、尿素SCRの使い方等、ほぼ日野の技術戦略に一致していた。自分たちの必然と考えた積み重ねとカミンズのそれとが一致し、ある意味では安心したのと同時に、感動した事を覚えている。
両者の発表後、「コンセプトはほぼ同じだな」と彼に声をかけ、笑いあって別れた。

 しかしそれだけでは済まなかった。日本に帰って2-3週間後カミンズがプレスリリースを発表して「2010規制適合に従来のディーゼル燃焼を使わず、また尿素SCR を使わない新しいコンセプトで対応する」という。多分PCCI的な燃焼で対応し、NOxの後処理を使わない方法を選択したものと思われた。
「そうするとStephen J Charlton の発表は、何だったのだろう」と疑問を感じながら約1年が過ぎた。そこでまたカミンズがプレスリリースを発表し、従来のディーゼル燃焼と尿素SCR組み合わせに戻るという。結局2007年のStephen J Charltonの発表したコンセプトに戻ったわけだ。後日、Charlton とグラーツのAVLのパーティに同席した時「あの方針転換は何だったのか?」聞いたが、奥様が隣りに居られたせいか笑っているだけで多くを語らなかった。彼の部下の発言から推察すると、カミンズのもう1人のExecutive DirectorがPCCI的燃焼に執着しこの方法ならばNOx後処理装置を使わずにコストが安くなると上司を説得し進めたが、意図した通りに行かずCharltonのコンセプトにもどって、彼が副社長に昇進して開発の指揮を執ったらしい。

 ほぼ同じころ、PCCI 燃焼に執着していたキャタピラーがOn-Highwayからの撤退を発表した。Heavy-Duty Dieselの世界は、本当に狭い。