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コラム

日本の文化再発見~日本酒~
森 雄一
Yuichi MORI
本誌編集委員、堀場製作所
JSAE ER Editorial Committee / HORIBA,Ltd.

はじめに
 カーボンニュートラルに向けた挑戦で、内燃機関燃料であるガソリン・軽油の“代替”として、バイオエタノールが注目されている。エタノールは、ご存知の通り酒類に含まれているいわゆる「アルコール」であり、それを“代替”どころか“主燃料”とされている方を、これまで何人もお見かけしてきた。
 とりわけ、自動車技術会や機械学会、燃焼学会の先生方にはそのような方が多いように思う。最近の宴席では、皆さんの燃料は大体ビールで、焼酎やワインも人気だが、日本の伝統的な酒である清酒(日本酒)はなぜだか影が薄い。
 「悪酔いする」、「お洒落じゃない」…、このあたりが、日本酒に対するネガティブイメージの典型のようだ。かくいう私も以前は同様のイメージを持っていたが、今ではそれは180度変わってしまった。ここでは、この日本酒醸造の世界の技術革新について紹介したい。



400年前の日本酒と現代の日本酒
 私事で恐縮だが、私の家系をたどると、父方の数世代前は造り酒屋をしていたようだ。また母方の親戚は兵庫県吉川地区で日本一の酒米と言われる山田錦を作っている。そんな縁もあり、私には元来、“酒好きのDNA“が組み込まれていたのだろうか。
 4年前、まるで白ワインのような日本酒を飲んだことをきっかけに、それが突然覚醒した。「これが日本酒?」と、これまでの固定観念が吹っ飛び、多種多様な日本酒の香りや味わいの虜になってしまった。悪酔いもしない。気づけば、飲み比べた日本酒は数百種類。趣味が高じて、最近、唎酒師(ききさけし)の資格まで取得してしまった。
 そんな中で、約400年前の日本酒に出会ったことがある。天下人豊臣秀吉の愛飲酒、「美酒言語ニ絶ス」と絶賛されていた、大阪府河内長野市にある天野山金剛寺の「天野酒 僧房酒」だ。当時の製法をできる限り忠実に復元されたものらしいが、その酒質(テイスト)は現代の日本酒とは全く異なるものだった。比べると、現代酒の方の洗練度合が、明らかに際立っている。もし現代の日本酒を秀吉公に献上したなら、あまりの美味しさに狂喜乱舞し、褒美に一国ぐらい与えられたかもしれない。



日本酒醸造技術のブレイクスルー(飛躍的発展)
 ここまで違うのだから、400年の間に、何かブレイクスルーとなる出来事があったに違いない。そう思い、酒造りの歴史を辿ってみた。見つけたのは、明治時代の「和魂洋才」政策の成果だった。1000年以上、杜氏(とうじ)の勘と経験で続けられてきた日本酒造りが、イギリス人により初めて科学的に解明されたのだ。
 その結果、次々に新たな製法が生み出された。江戸時代に完成した手法「生酛(きもと)造り」から、新たに「山廃(やまはい)造り」、さらには「速醸造り」という手法が生まれ、現在に至る(各造りに関しては注釈参照)。
 1000年以上かけて少しずつ構築されてきた酒造りの方法が、明治のわずか40年で飛躍的に発展したことになる。さらに、昭和時代にもブレイクスルーがあった。精米(米を磨く)技術の発達である。磨けば磨くほど、米の中心部(心白)の利用割合が増え、より雑味の少ない日本酒ができる。400年前の天野酒は米を10%しか磨けていなかったが、現代では50%以上磨いた大吟醸が普通になり、さらに凄いもので99%以上磨いたお酒まで存在する。



現代の日本酒造りと若手の活躍
 現在の日本酒業界では、若手の杜氏が驚くほど美味しい日本酒を造っている。昔の方法論にこだわらず若手の新しい発想を生かし、スマホでの発酵タンクの温度管理など、”今流”に科学的データを元にした酒造りを行うことで、新たな味わいがどんどん生まれている。
 昔かたぎの年長の杜氏は顔をしかめているかもしれないが、それでも、革新的取り組みをしている蔵は生き残り、旧態依然の蔵は衰退していると聞く。現代のツールを駆使して手間が省けるところは省くなど、既成概念にとらわれない新しい発想により、今なお酒造りはどんどん進化を続けている。
 伝統の継承と技術革新により、日本酒の味わいは、「有史以来の最高レベル」の時代となっている。400年前の大権力者が人と金をどれだけつぎ込んでも手に入らなかった最高の酒を、今の私たちは千円ちょっとで口にすることができる。今後の宴席での新燃料として、是非おすすめしたい。



※注釈:日本酒醸造法について(生酛造り、山廃造り、速醸造り)
 一般に、酒は、微生物である酵母が糖類を分解してアルコールに変える働き(アルコール発酵)によって醸造される。日本酒の原料である米はその8割がデンプンで、酵母が利用できるよう、このデンプンを糖類に変えてやる必要がある。この際、麹菌を使う。麹菌を繁殖させた米麹を蒸した原料米に混ぜ、麹由来の酵素によりデンプンを糖類に分解させる。
 そこに酒酵母を加えるとアルコール発酵により酒が生まれる。重要なのは、加えた酵母を十分に増殖させること。酵母を死滅させてしまう雑菌を防ぐため、古来より、乳酸菌が利用されてきた。「生酛造り」と呼ばれる手法では、蒸した米を山のように積み、その米の山を櫂という道具ですり潰していく(山卸し)。すると空気中の乳酸菌がすり潰した米に付き、乳酸が発生する。
 この乳酸により、乳酸菌自身も含めたほとんどの微生物が死滅してしまう。しかし、そのような状態でも優良な酒酵母だけは生き続け、アルコール発酵することで酒が生まれる。ところが明治における科学的な分析により、山卸しで米をすり潰さなくても、麹菌の液体を加えることで米が溶けて、すり潰したのと同じ状態になることが見出された。この醸造法が「山卸し廃止酛造り」、通称「山廃造り」である。
 酒質は生酛造りとほぼ同じで、杜氏は、米をすり潰す重労働から解放された。その翌年、現在の酒造りの主流となっている「速醸造り」、すなわち、乳酸そのものを米に加えて雑菌を死滅させる方法も編み出された。どっしりとしたクラシカルな味わいは生酛・山廃造りで、フルーティでモダンな味わいは速醸造りで、と飲み分けて楽しめる。