先日、奈良の平城京跡を訪れた。現在の平城京跡は、広大な空間に往時の都を再現した史跡として整備されており、復元された朱雀門や太極殿の煌びやかさや壮大なスケールからは、いにしえの都の威容を強く印象づけられるものであった。かつてこの都では、約7000人もの役人が日の出とともに入城し、それぞれの職務に従事して政務を行っていたという。1300年前にしてすでに官僚制度が確立されていることには、改めて感心した。
平城京はおよそ70年間続き、その後、平安京へと遷都されるのだが、特に驚いたのは、都の遷移に合わせて多くの建物を「移築」していたという点だ。単に建てて壊すのではなく、建物を解体し、他所で再利用するという柔軟で合理的な発想が、すでにこの時代に存在していたことに、「へえ、そうなのか!」とびっくりした。
このような移築を可能にしていたのは、釘や金物も用いず、仕口や継手など、木材の加工と組み合わせによって建物の構造を形成する高度な技法の存在がある。まるでパズルのように木材同士を組み上げることで、強固な接合を実現すると同時に、解体も容易に行えるようになっていた。
新しく作るのではなく、すでにあるものを活かすという選択。現代の感覚でいえば、堂々たる「リマニュファクチャリング」だ。再利用は、しばしば新たに作ること以上に知恵を要する。技術者にとって、それは“壊す技術”ではなく、“活かす技術”と呼ぶべきなのかもしれない。
私たちは普段、無意識のうちに多くのエネルギーを消費している。生活も生産も、移動も通信も、すべてはエネルギーの上に成り立っている。だからこそ、「どこでどう使い」、「どこでどう残すか」という視点が、ますます重要になってきている。
「新しくする」ことは、わかりやすく、気持ちもいい。だが、「残す」「繰り返す」「使い直す」ことにも、経済的・環境的な観点から大きな意味がある。もしそれが“合理的で得な選択”として社会に根づけば、循環型社会はもっと自然なものになるだろう。
技術は常に未来を向いている。しかしその足元には、過去から受け継がれた知恵が息づいている。木や石を運び、都ごと再構築してきた人びとの姿に想いを馳せ、 “もう一つの創造”のあり方を考える休日となった。
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