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Vol.16 No.1

第6章 想い出の展示品との出会い【回顧録】 &ミュージアム探訪のインプレッション
Encounter with a Memorable Exhibit【Memoir】& Impressions from the Museum Visit
本誌編集委員
JSAE ER Editorial Committee

アブストラクト

 今回Honda Collection Hallミュージアム探訪に参加した本誌編集委員が、かつて自身が深くかかわった展示品との再会を果たすことができた。その瞬間、時を超えてよみがえる記憶と想い出を歴史的知見も含め、回顧録としてまとめ執筆頂いた。また、ミュージアム探訪における編集委員のインプレッションを、展示品や施設がもたらす技術的価値や感動とともに紹介する。

【回顧録】自転車オートバイ、Honda Cab(自転車補助用エンジン、カブ号 F型)(1952-)

 ひょっとしたら会えるかもしれない。そう思いながらHCH見学に参加した。昔の魚屋さんが使うような後輪のタイヤが太い自転車に、白い丸い燃料タンクと赤いエンジンがついた自転車オートバイ、カブ(図1)である。

Movie.1 ホンダカブ号 F型
(動画提供:本田技研工業)

 一階の創業初期の紹介部分に、自転車店向けの段ボールに入った状態のカブを見つけ、くずやさんで入手したスペア用とセットで実家の物置に納めた思い出のカブの姿を思い出した。後に処分されてしまったが‥‥。二階に自転車にセッティングした状態の展示があり、感無量であった。

 高校生のときに小型四輪車の免許をとったのを機に、ご近所の方からカブをいただいた。駅までの通勤に使っておられたが、エンジンの不調でお年を召した方の通勤手段としては不適となっていたもので、中学の職業家庭科の授業で興味を持っていた小生にはグッドタイミングであった。幸いなことに、キャブレータの分解掃除によって調子が良くなり、海岸から数百m周期の緩いアップダウンが繰り返す片道約2kmの通学に利用させて頂いた。

 ハンドル右手のスロットルとチョークレバーは当時一般的であったが、左手には、バネに逆らって回すとクラッチが切れるグリップと、バネに逆らって倒すとシリンダヘッドのバルブを”開”にしてデコンプ動作*1ができるリフタ(?)レバーが一体になったものがついていた(図2)。クラッチ”断”でこぎ出し、速度が出たところでデコンプ状態でクラッチ”接"にした後、非デコンプ状態にすることでエンジンがかかる。しかし、冬の始動時にチョーク*2のかけ方を失敗すると、プラグが”かぶって”しまい悲惨であった。スパークプラグをチェックし清掃/交換をするべきであるが、時間がないので、デコンプ状態でペダルをこぎ続け、掃気しては非デコンプにしてエンジンの始動を試みる(誤使用かも知れないが当時はそのようにしていた)ことになり、運が悪いとこれを繰り返しているうちに学校に着いてしまうこともあった。デコンプ状態でシュッシュと目立つ音が出るので友人の注目を集めてしまいながら、汗びっしょりでペダルをこいでいたのを思い出す。慣れてきて、早めに諦めてクラッチを切って走行することもあったが、汗をかくのは同じであった。

 アイドラー駆動やベルト駆動の自転車オートバイの友人が雨の時に滑ると言っていたが、カブがチェーンドライブであることに優越感を持っていた。また、左のグリップでクラッチ操作ができるので、片手運転でアイドラーやテンションのレバーを操作する必要もないこと、全体に剛性が高く、びびり音がないことも、コンパクトでスマートなことともに気に入っていた。

 これが創業期の重要なヒット商品であったとの解説に大いに納得した。
(清水 健一)

【注釈】
*1 デコンプ:主に小型ディーゼルエンジンで用いられたものであり、エンジン始動時に手動で decompression valve を“開”にしてシリンダ内への大気の出入りを自由にすることでクランク軸の回転上昇を容易にし、その後 valve を“閉”にすることでエンジンの始動を容易にする操作を指すものである。
*2 チョーク:冬季のエンジン始動時に、キャブレータの空気吸入量を減らして混合気を濃くすることで点火しやすくする装置又はその操作を指すものである。
【回顧録】CVCCに乗った

 コレクションホールのエントランスを右に進むと、歴史上重要な展示の中にCVCC*1のエンジンが単体で置かれている(図3)。このエンジンが世界に驚愕を与え、ホンダの名を世界的なものにしたという点では二輪、F1世界チャンピオンと並ぶものであって、このエンジンの技術的歴史は数々の書籍に書かれていることはご存じの通りである。しかしそのエンジンを積んだシビックはどんな車だったかというと、実際に経験されている方は少なくなったのではないかと思う。

 私が経験したのは二代目の「スーパーシビック」である。エンジンはEM型: 1.5 L 直列4気筒 SOHC CVCCであり、父の車だった。父は初めてのクルマ「ホンダN360」のあと何を買おうか悩んでいた。本当は定評のある他メーカーの小型車を買おうと思っていたようだが、中学生だった私はクルマ専門雑誌をバンッと積み上げ、説得して初代シビックを買わせた。その後父はずっと代々のシビックに乗り続けた。私がシビックを推したのは、VANの石津謙介氏が周りの反対を押し切ってプライベート用に選んだからというミーハーな理由だったからだ。しかしなぜ石津氏がこの車を選んだかというコメントには惹かれるものがあった。
 話を戻してこの二代目シビック、初代に比べて室内は広くなり、そこそこ豪華となっていた。免許を取った私は早速この車を借り出した。スピードメータとタコメータが同軸化されたワンメータが目新しく、ワクワクしながらスタートしたことを覚えている。
 しかしいざスタートしてみると、エンジンがスロットルに全くついてこない! それ以上にアクセルを離してもエンジン回転が落ちてこない!! エンジン回転とクラッチ操作が全然同期せず、運転が下手になったと思った。バイクに乗っていた私にとってこれは違和感を通り越していた。CVCCはマスキー法*2をクリアした世界初のエンジンだが、運転の楽しみは全くなかった。
 だが、こんなものだろうという気もしていた。当時の排ガス対応エンジンは似たり寄ったりだったともいえる。三元触媒が使われるようになってこの違和感は和らげられたが、パワーのなさは何れも同等だった。昔の日産S20とかトヨタ2T-G、三菱自動車4G3 DOHCなどなどの元気なエンジンはもう夢になっていた。
 その後自分でホンダを買う機会があり、初代CR‐Xを選んだ。初期型で1.3Lと1.5L のSOHCのみだった。しかしこれが素晴らしく楽しいクルマ、エンジンだった。とても1.5LのSOHCとは思えないほど速く、それは車体の軽さも大きく影響していた。若かりし自分はこの1.5Lに乗り、東名でポルシェを追いかけまわして喜んでいた。このEW型エンジンが、じつはCVCCだったのである。私はしばらくそのことに気が付かなかった。それほど気持ちのいい、楽しいエンジンだった。
 ここで改めて、エンジン技術者の絶え間ない努力によってドライバビリティが向上し、規制前より気持ちの良いエンジンを作り上げたことを思い知らされた。この間にCVCCにどんな開発があったのだろう。ターボチャージャが採用されたときも、しばらくは「ドッカンターボ」しかなく、私は「アクセルとスロットルバルブがゴムひもでつながっている」と評したが、今ではそのタイムラグも過給の違和感もなくなった。多くの技術者のおかげで当時の自分には想像もできない世界が広がっていると思う。
 ホンダコレクションホールのCVCCのエンジンの前で、こんな思い出が一気に蘇った。
(山崎 敏司)

【注釈】
*1 CVCC:ホンダが開発した「Compound Vortex Controlled Combustion(複合渦流調速燃焼方式)」の略称。1970年代にアメリカの厳しい排ガス規制「マスキー法」を後処理装置なしでクリアした画期的な低公害エンジン技術である。副燃焼室に濃い混合気を点火し、その火炎で主燃焼室の薄い混合気を確実に燃焼させることで、有害物質を低減しつつ高い燃費性能も実現した。
*2 マスキー法:1970年にアメリカで制定された大気清浄法改正法の通称で、自動車排出ガス規制を大幅に強化した法律である。その厳しさゆえにアメリカの自動車メーカー(ビッグ3)は実現不可能と反発したが、日本の自動車産業が技術革新(環境技術)を進める原動力となった。
【回顧録】 長円ピストンの音を聞きたいNR500(1979-)
NR500とその後のGPマシン

 アクリルの中の変なエンジン

 ホンダコレクションホールを訪ねた人は、たぶん全員が足を止めるコーナーがある。
 アクリルボックスの中に展示されているのは、四つの奇妙な形をしたピストンに32本の給排気バルブ、8本の点火プラグと8本のコンロッドで構成されたV型4気筒エンジンである(図4)。

 エンジンに詳しくない方は、まるでハリセンボンのように部品が突き出た変なエンジンに見えるだろう。しかし本誌を読まれる方の多くはご存じのはずである。これがホンダの「偉大なる失敗作」と言われたNR500のエンジンである。この言われ方には昔から異論がある。それは後述したい。
 ホンダは二輪世界選手権の最高峰GP500に再挑戦するにあたり、一つの目標を立てた。当時は軽く小型で高出力な2ストロークが選ばれていた。この時代にあえて4ストロークを選んだのである。本田宗一郎が2ストローク嫌いだったからという都市伝説があるが、今となっては来る排気ガス問題、燃費問題に先鞭をつけた形となった。
 NRプロジェクトが組まれ、責任者となった入交昭一郎氏は現状のライバル2ストロークレーシングエンジンが110PS/10000rpmレベルと分析し、4ストロークで闘うためには120、できたら130PS/20000rpmが必要と考えた。
 高回転化には多気筒化が有効であるが、レギュレーションでは500ccエンジンで最大4気筒という縛りがあった。入交氏は悩んだが、あるとき思いついたのがこの長円ピストンである。ここに8本の給排気バルブを取り付け4気筒で32バルブを成立させる。つまり疑似4バルブ8気筒エンジンである。
 それだけではない。二輪としては異例のモノコックフレーム、サイドラジエータ、効きすぎてリヤタイヤを暴れさせるエンジンブレーキを緩和するバックトルクリミッターなどの新機構を採用し、キングと呼ばれたヤマハのケニー・ロバーツのコーナーラインの内側を突くためにホイールとタイヤを18インチから16インチにした。誰も乗ったことがないマシンが作られた(図5)。

 当時車体を担当し、サーキットにも着いて行っていた方に聞いたことがある。特許が受け付けられる1984年まで、このピストンの形は絶対極秘とされた。どんな暑いサーキットでもテントがぴったり閉められた。モノコックフレームのため、サーキットごとに最適な変速比にするためギヤを変えるために、この暑いテントの中でその都度エンジンを降ろさなくてはいけなかった。
 このような苦労の末、1979年のシーズン途中にレースデビューを果たす。しかしそのデビューは2台のNRのうち1台が予選通過タイムに達していないというものだったが、主催者特別措置での2台スタートが許された。決勝では1台がスタート時にエンジンオイルを吹き、それに乗って転倒、炎上というさんざんなものだった。
 この年はエンジンも108PS/18000rpmにとどまった。しかし開発は1981年まで続き、最終モデルは135S/19500rpmにまでなっている。結果的に世界選手権で表彰台は1度も経験されなかったが、これは当時のスタートが押しがけだったことも不利であった。1981年のアメリカGPでは予選1位、決勝ではエンジントラブルまで2位を走ることになった。この時のライダーがフレディ・スペンサーである。全日本では木山賢悟が鈴鹿200㎞で燃費の良さを武器についに優勝を果たしたが、これ以降の開発はNS500へと移行する。

2ストロークV型3気筒NSとその後継たち

 ホンダは走る実験室としてのNR開発を目途がついたとし、いよいよタイトルを争うマシンづくりを開始した。それが2ストローク112度V型3気筒というレイアウトを選んだNS500である(図6)。徹底的な小型軽量化を進め、16インチホイールはNRを踏襲した。ヤマハのケニー・ロバーツを破るエースとしてフレディ・スペンサーが選ばれ、彼の独特な走りに合わせてマシンのセットアップが進んだ。

 デビュー年の1982年は3勝を挙げ、翌83年は高速コースでのヤマハYZR、タイトコースでNSが勝ち分け、全12戦を6勝ずつ分け合い、優勝外の順位わずか2ポイント差でスペンサーが史上最年少チャンピオンとなった。マシンの基本性能が優れていたことは、スペンサー以外の多くのライダーを育てたことでもわかる。市販レーサー型も販売されRS500の名前で全日本にも登場した。
 1984年、次に開発されたのが2ストローク4気筒のNSRである。特筆すべきはヤマハ、スズキの2本に対して、クランクケースを1本にしてこの大出力に耐えたことだ(図7)。ヤマハもスズキもスクエア4エンジンをV型にしたものだった。NSRはデビュー型はチャンバーをエンジン上、燃料タンクを下にレイアウトする特異なレイアウトを持ち、ホンダの独創性を見せるマシンだった。これはスペンサー以外乗れないといわれ、翌年からオーソドックスな形になりながら19シーズンというレーサーとしては異例に長い活躍を見せ、デビュー当時150PS程度だったエンジンは、毎年の改良で190PS以上になっている。あまりの高出力のため、ライディングスタビリティを確保するためビックバンと呼ばれる不等間隔位相同爆方式も開発された。

 2002年、大幅な規定変更により、GP500はMotoGPの名のもと、エンジンは4ストローク化された。当初は変革期として2ストローク500の混走が認められ、そのピークパワーと軽量さで有力視されていたが、4ストロークのコントローラビリティと大トルクがレースでも生き、初代チャンピオンはホンダの新しい4ストロークエンジンが手に入れた。このエンジンが75.5度型5気筒のエンジンを持つRC211Vであった。最高出力は200PSを超え、2004年型は240PSを超えたといわれている。規定では気筒数が自由とされたが、気筒数が多くなると最低車重が重くされた。長円、楕円ピストンも許されたが、車重にハンデが与えられた。ホンダは規制の中で最も有利とする5気筒を選び、75.5度のバンク角とすることで一次振動を打ち消した。元ヤマハのケニー・ロバーツ率いるチーム、日本のコンストラクターであるモリワキエンジニアリングにもリースされ、一大勢力となった。
 その後MotoGPの排気量が変わりエンジンはホンダが市販車を含め多くのノウハウを持つV4になった。じつはこのV4レイアウトにもNRの知見が込められている。
 しかし常勝していたエースのマルク・マルケスの負傷による長期戦線離脱、新型コロナ化での開発の遅れが重なり、ホンダをはじめ、ヤマハもまた低迷を続けている。この苦労が一段落したとき、開発者に話をぜひ聞きたいと思っている。
 このようなことを振り返ると、ページがいくらあっても足りない。エピソードはいくらでもある。しかしそのような長文に付き合わなくとも、このホンダコレクションホールにいけばすべての実物を見ることができるのだ。

長円と楕円ピストンはこのままなくなるのだろうか

 話をNR500に戻す。本稿では一般に使われている「楕円」ではなく「長円」で統一してきた。楕円ピストンエンジンはNR500ののち、1992年に発売された750cc「NR」が正規楕円包絡線円ピストンを持ち、明確な差を持つからだ。この楕円エンジンはシリンダの加工がしやすく、ピストンの曲率変化が連続性を持ち、気密性を保持しやすかったために量産に選ばれた。ほかにも今につながる新機構が満載されたロードバイクであった。しかし1台の販売価格は520万円となり、生産台数は322台に過ぎなかった。以上が長円‐楕円ピストンのホンダエンジンのすべてである。
 ここでもう一つ付け加えたい。最近のニュースでフェラーリが楕円ピストンエンジンの特許を取ったという情報に触れた。その図を見ると、楕円ピストンはNRシリーズと違ってクランクシャフトに直角にレイアウトされている。クランクシャフトは1本だ。これでV12エンジンとしているが、明らかにエンジン全長を短くする目的と思える。ホンダのエンジンとの関連性はわからないが、あのフェラーリも選び、挑戦しているエンジンといえるだろう。ホンダNRは偉大な失敗だったのだろうか。いや早く生まれすぎた新しい内燃機関の一つかもしれないと思う。
 私が二輪レースの取材にかかわり始めたのが1983年。あのスペンサーがチャンピオンを取ったことを海の向こうのニュースとして扱った。だからNR500の19000回転と長円ピストンが生み出すエキゾーストノートに一度も接していない。ホンダコレクションホールの売りは「動態保存」であるという。できたばかりのこの場で真っ先に聞いたのが「いつNR500の走りが見られますか」だった。しかし帰ってきた答えは悲しいものだった。
「NRを走らせることはできません。もう部品が作れないんです」
 NRエンジンの制作と加工はそれだけ特殊なものだった。だがその挑戦を知り、開発とレースを通して育った人に何人もお会いできたのが私の財産となっている。
 もう一度問う。NRは偉大な失敗だったのだろうか。
(山崎 敏司)


ミュージアム探訪のインプレッション
今回のHCHミュージアム探訪に参加した編集委員のインプレッションを紹介します

■「苦しいときだからこそ、夢が必要だ」
 ホンダの夢と挑戦の歴史が肌で感じられる場所でした。幼少のころから接してきたさまざまな車両などが展示されていましたが、その中で特に印象的だったのはCB450です。この車両のエンジンは、私が卒業設計のお手本としたエンジンであり、 トーションバー・バルブスプリング機構の設計や,冷却フィンの形状表現に苦労したことを思い出しました。
 また、時代ごとに開発者の言葉が見出しのように表示されていて、「苦しいときだからこそ、夢が必要だ」に深く共感しました。
 車好きだけでなく、一般の方も楽しめる内容なので、機会があれば訪れることをおすすめしたいと思います。
(菊池 勉)

■ホンダは二輪車、四輪車に加えてジェット機という輸送機器を提供する会社でありながら、小型軽量エンジンを動力源とする携帯発電機、農業機械、ハンディタイプの作業機械、ガーデンイクイップメントなど、各種機器を社会に提供しています。過去から現在までに生産・販売されたエンジンの総数はもちろんのこと、その型式・機種の数も世界屈指と言えます。レシプロエンジンに限っても、アトキンソンサイクルのコジェネレーション用エンジン、楕円形ピストンエンジン、CVCCエンジン、VTECエンジン、カセットコンロ用のガスボンベを燃料とするエンジン、芝刈り機用の垂直軸エンジン、デュアルクラッチ搭載の二輪車用エンジン、逆さにしても運転可能な作業機械用エンジンなど、極めて多彩な展開です。
 ホンダコレクションホールのバックヤードには、過去に一度も展示されたことがない膨大な「お宝」が眠っているそうです。展示物は定期的に更新されるとのことですので、今後の「お宝拝見」が楽しみです。
(飯田 訓正)

■見学順路の冒頭に掲げられていた本田宗一郎のメッセージが、心に深く刺さりました。「人を喜ばせたい」。自転車で遠くまで買い出しに行く妻の姿を見て、小型エンジンを取り付けたのが始まりだったといいます。
 「誰かにまねされても、誰のまねもしない」。欧州車を手本としていた時代に、自ら奈良や京都の神社仏閣を巡り、日本固有の美意識を製品に取り入れたというエピソードにも胸を打たれました。
 HONDAの黎明期に培われたモノづくりの意義と独自性が、今日まで受け継がれ、哲学として昇華されてきたことを、展示を通じて深く理解することができました。HONDAらしさとは何か――。順路を辿るだけでその問いに自然と向き合える、秀逸な展示構成でした。
(森 雄一)

■ホンダコレクションホールは、宇都宮駅から最新のLRT沿いを走り、産業を支えてきたSLが走る真岡鐡道に並走しながら1時間ほどで、国際サーキットを備えるMOBILITY RESORT MOTEGI内に在ります。館内に入ると、本田宗一郎氏が創業時に苦労したピストンリングのモニュメントに出迎えられ、奥にはホンダジェットの胴体部が展示されており、入口からホンダのモノ作りへの挑戦が感じられました。館内には多くの言葉が掲示され、私が印象深かったのは「人に喜んでもらう技術こそ本当の技術」でした。技術は人を物理的に豊かにするだけではなく、ワクワクを与えることも必要であるのかと考えさせられました。それは、展示物である二輪・四輪の市販車やレーシングカー、耕運機や発電機、船外機、ジェットエンジン、自社開発の衝突実験用の人形など、これまで世を便利にするだけでなく、ワクワクを与えてきたモノたちを見ることで理解が深まりました。私が一番ワクワクした展示物は、NSXと赤の初代トゥデイです。大学時代にバイトしていたスタンドにて、常連さんが乗ってくるNSXがカッコよく憧れでした。トゥデイは当時の愛車の代車(展示物と全く丸目の前期仕様)として、事あるごとに乗っていました。若かった私は、赤色ボディーに黄色ナンバーを何となく恥ずかしく思っていました。ある日、幼稚園の道脇に車を止めたところ、園児から「赤い車だ、かっこいい」と言われました。“ホイールベースが長く、全高が低く、赤い“といった特徴が、子供達の直観ではNSXと同じぐらいカッコいいと思えるぐらい、ワクワクするデザインだったのですね。トゥデイは、地元へ帰る140kmの道中でも、クーラーが無く結露した内窓を走行しながら雑巾で拭く以外は、床から長く生えた4速シフトの調子は良く、エンジンの軽快さや車体の軽さ、低重心なこともあり山道をすいすい走った覚えが有ります。園児の人気者になった後、恥ずかしく思っていたことを反省し、愛着が湧いてワックスを掛けてお返ししたことを思い返しながら見学しました。
 私も、人にワクワクを与えるモノ作りを頑張らねばと思った次第です。
(吉冨 和宣)

■事務局の島田は理学部出身で、工学系の知識にはあまり明るくありません。メカや技術的な部分については、専門知識をお持ちの委員の皆様にお任せするとして、ここではその周辺の印象について記します。
 ホンダコレクションホールには10年以上前に何度か訪れたことがあります。当時はロボットのASIMO(アシモ)がステージで実演を行っており、その軽快な動きに驚かされたものです。現在では(図8)にあるように展示物のひとつとなっており、動く姿は見られなくなってしまいました。
 しかし、アシモがいなくても、エントランス付近には「UNI-ONE」という体験型の展示(図9)が用意されており、これがなかなか楽しいものです。搭乗して操縦してみたところ、思った以上に操作にはコツがいるものの、身体の傾きに応じてスムーズに移動する感覚は新鮮でした。
 このUNI-ONEには、実はASIMOの開発で培われたバランス制御技術が応用されているとのことです。人の動きを感知し、それに応じて自然に動くその挙動には、まさにヒューマノイド研究の成果が感じられます。「なるほど、これが人とロボットの共生の第一歩か」と思わせてくれる体験でした。
 また、個人的に強く印象に残ったのは、災害用の信号機向け発電機(図10)の展示です。大きな災害が起きた際、停電で信号が止まり交通が混乱することがありますが、そうした事態を防ぐためのバックアップ用発電機がしっかりと用意されています。交差点で見かける無骨な箱の正体がこれであり、それをホンダが製造していたというのは、災害時の記憶と結びついて非常に印象深いものでした。
 展示物だけでなく、館内の設備も充実しています。ミュージアムショップでは、ミニカーやアパレル、クッキー、ガチャガチャなど幅広い商品が揃っていて、ついつい時間を忘れてしまいます。私は子どもへのお土産にクッキー缶を購入しました。
 ショップのすぐ隣には、書籍が並ぶ休憩スペース(図11)も用意されており、展示を見たあとの一息つく場所としても心地よい空間です。ゆったりした椅子に座って、ホンダにまつわる書籍や写真集を眺めながら時間を過ごせるのは、とても贅沢なひとときです。
 技術の最先端に触れながらも、人とモノとの関わりを感じられるホンダコレクションホールは、技術者はもちろん、そうでない人にも多くの発見と楽しみがある空間でした。
(島田 和弥)

■自動車技術会 エンジンレビュー編集委員会 参加者集合写真

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