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Vol.16 No.1

第3章 継承と飛躍の時代(1970年前後-1985年前後)
- 一人の天才がいたって駄目だ。凡人でも力を合わせれば必ず成功できる -
The Era of Inheritance and Leap (circa 1970–circa 1985)
野口 勝三
Katsumi NOGUCHI
本田技研工業株式会社/本誌編集委員
Honda Motor Co.,Ltd/JSAE ER Editorial Committee

アブストラクト 創業時からの挑戦が花開き、本田宗一郎氏の想いを受け継ぐ新たな世代が躍動した時代

 本稿では、Honda Collection Hall 北フロアに展示される代表的な展示品を基に、この時代の技術的飛躍の背景と意義を説明する。特に、米国マスキー法を世界で初めてクリアしたCVCCエンジンの着想と開発過程、ならびにシビックCVCCによる低公害・低燃費技術の世界展開について概説する。また、CVCCエンジンがCVCC ⅠからCVCC Ⅱ、COMBAX、BCトーチへと進化していった燃焼技術の課題に対し、多面的なアプローチで取り組んだ事例を紹介する。加えて、二輪レース分野において革新的な構造を備えたNR500の8バルブ長円ピストンエンジンなど、独自性の高い技術開発にも触れ、ホンダ技術者の挑戦する姿勢が製品の進化にどのように寄与したかを描き出す。

低公害CVCCエンジン (1972-) 世界初マスキー法適合

 1970年米国のエドマンド・マスキー上院議員によって、大気浄化法(通称、マスキー法)案が提出された。同法案の内容は極めて厳格な排出ガス規制を定めており、当時の世界中の自動車メーカーは「この規制内容を達成するのは不可能である」と主張した。ホンダでは、有害物質であるCO、HC、NOxの同時低減を実現するには、燃料を完全燃焼させる希薄燃焼しかないとの思いを強くしたが、当時の技術レベルでは到底マスキー法をクリアできるとは思えなかった。混合気の加熱・気筒内ガス流動の強化・点火エネルギーの増大・多点点火など、考えられるあらゆる手法が検討・試験されたものの、いずれも十分な成果は得られなかった。そして、先発メーカーと同じ研究をしていては追い付くことが困難と判断し、他社がやっていない新たなアプローチに挑戦することとした。その時、一つのアイデアが出た。 「従来のガソリンエンジンでは使われていない、副燃焼室付エンジンで希薄燃焼ができないか」。副燃焼室の最適な条件出しなど、希薄燃焼の研究が行われた。その結果、副燃焼室で生成されたトーチ火炎を希薄混合気の主燃焼室に噴流させ、燃焼室内に渦流を発生させることで燃焼速度を向上させ、有害成分の大幅な低減を実現する「CVCC(Compound Vortex Controlled Combustion)」方式を開発した。1972年、CVCCエンジン(図1、図2)は、触媒等の排出ガス浄化装置を用いることなく、米国環境保護庁(Environmental Protection Agency EPA)のマスキー法適合審査に世界で初めて合格した。かねてから表明していた通り、CVCC技術は他の自動車メーカーにも公開した。この開発は、ホンダ社内と多くの協力会社が一丸となり、徹底した理論検証と実験を積み重ねた成果である。「失敗から学び、迅速に挑戦する」というホンダ流の技術者精神が大きく寄与している。CVCCエンジンは、ホンダの低公害技術の基礎を築き、世界の自動車メーカーに大きな影響を与えた歴史的なエンジンである。

シビックCVCC(1973-)

 1973年12月13日にシビックCVCCが国内で発売された。米国市場への輸出に際しては、1974年11月に米国環境保護庁(EPA)によるマスキー法適合審査に合格し、さらにEPA燃費テストにおいて全米第1位の評価を獲得した。これによりシビックは一躍クルマ選びの新たな基準である「低公害」「低燃費」をリードする存在になった。シビックCVCCは年々燃費性能を向上させ、1978年モデルまで4年連続でEPAによる米国燃費1位認定を獲得した。さらに、2000年に米国自動車技術者協会(SAE)の月刊誌「Automotive Engineering」誌が選出する20世紀優秀技術車(Best Engineered Car)の70年代優秀技術車に選出されるなど、独自の技術革新による成果を世界に示した。また、国内においても1972年度から3年連続でカー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。関連内容として、第6章 想い出の展示品との出会い【回顧録】CVCCに乗ったが後述されている。

Movie.1 シビックCVCC
(写真提供:本田技研工業)

CVCCの進化と変遷

 CVCCエンジンは、1973年のCVCC-Ⅰ(2バルブカウンターフロー、単一トーチ孔)を皮切りに、継続的な開発が行われた。1980年に登場したCVCC-Ⅱでは、副燃焼室を中央に配置し多孔トーチを採用することで、燃焼のさらなる安定化を実現した。1981年のCOMBAXエンジンは、ロングストローク化で、燃焼室高さを上げファンネル型燃焼室を形成し、エンドガスゾーンへの火炎伝播を促進している。このエンジンは、都会型・行動派の若年層をターゲットとした新コンセプト車「シティ」(図4)に搭載され、市場で大きな反響を呼んだ。1982年には、3バルブクロスフロー構造および主トーチから分岐したBCトーチを採用したBCトーチエンジンが開発され、エンドガスゾーンの燃焼促進を図った。このエンジンは、斬新なデザインで注目を集めた2代目プレリュードに搭載された。CVCCエンジンは、技術者による継続的な挑戦のもと、1980年以降、毎年新たな燃焼コンセプトのエンジンが開発され、進化を続けた。なお、シティに搭載されたCOMBAXエンジンは、レギュラーガソリン仕様で高圧縮比10.0を実現し、当時の国内小型車トップの低燃費(19.0km/L、10モード燃費)を達成している。また上述のように、初期のCVCCエンジンでは、触媒の信頼性や三元触媒の実用化が進んでいなかったこと、また市場で有鉛ガソリンが多用されていたなどの課題から触媒を用いずにマスキー法をクリア-させていた。しかしその後、1980年ごろからこれらの課題が克服され、出力や燃費の要求に応じてCVCCエンジンにも触媒が導入された。さらに三元触媒の開発・実用化が進んだことで、エミッション低減が可能となり、CVCCは1987年でその役目を終えることとなった。なお、近年ではカーボンニュートラルCO2削減の観点から、副燃焼室を活用したスーパーリーン燃焼が再び注目されている。

Movie.2 シティ
(写真提供:本田技研工業)

NR500(1979-) -差ではなく、違いで勝つ-

 1977年、ホンダは二輪世界グランプリ(GP)への復帰を宣言し、新型NR(New Racing)エンジンの開発に着手した。図5は、1979年当時のNR500 0Xロットの車両である。当時のトップカテゴリーであった500ccクラスは、出力的に有利な2ストロークエンジンの独断場となっていた。しかし復帰にあたってホンダが投入したエンジンは、「革新的な技術の創出」を目的に4ストロークエンジンを選定していた。2ストロークに勝つため、エンジンは130PSを出力目標に開発され、気筒数制限がある中、その出力達成のためには数々の革新的技術が必須となった。図6は、1982年仕様のエンジンで、長円ピストンに1気筒当たり2本のコンロッド、吸気4本、排気4本の合計8バルブ、2本のスパークプラグを設け、組み立てクランクなど、捻りだされた革新的な独自技術を多数採用していた。エンジンは最高出力128PS/19000rpm、4サイクル90度V型4気筒DOHCギヤ駆動499.49cm3長径93.4mm、短径41.0mm、ストローク36mmの長円ピストンを特徴としている。詳細は第6章 想い出の展示品との出会い【回顧録】長円ピストンの音を聞きたいNR500(1979-)参照されたい。

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